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Vol.9 握力を鍛える?握り方で変わる?
小指から巻くように・・・これが道着の正しい握り方です!
人差し指と親指でつまんだりしてないよね?( ̄m ̄* )
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Vol.10 「よい指導者の条件」
「少年サッカーの指導者向け」の教本から抜粋してみましたw
柔道でもきっと役に立つと思います。
自分はこれでもいろいろ考えてるんです( ̄^ ̄)エヘン
↑少し調子に乗っているヾ( ̄  ̄*)オイオイ
A.なぜ少年指導に携わるのか
?「子ども好き」「スポーツ好き」
少年スポーツの指導に携わっている人、あるいはこれから携わろうとしている人は
基本的に「子ども好き」「スポーツ好き」であることに間違いはないでしょう。
そうでなければ、多くの人がほとんど無報酬でウィークエンドの貴重な時間を少年スポーツに費やすなどということはしないはずです。
自分は昔は選手ではなかったけれど、何らかの形でスポーツとかかわっていたい
あるいは子どもとかかわっていたいと思う人が指導者やまとめ役になっています。
また、何年間かの選手時代を過ごしてきた人も、自分は大人や高校生の指導は向いていないが子どもなら好きだし、自分に向いている。
そんな動機で少年スポーツに携わっているのではないでしょうか。
よく、スポーツの指導者はそのスポーツを経験した人でなければできない
などといわれることがありますが、そんなことはありません。
サッカーの世界の例でいえば、昔ブラジルのナショナルチームの監督に
ジョン・サルダーニャという新聞記者出身の人が就任しました。
日本ではチームを何度も高校日本一に導いた、東京の帝京高校の古沼貞雄先生が
陸上の出身です。
よい指導者とは、そのスポーツと指導の対象となる人間をこよなく愛し
この二つの存在についての勉強を積み重ねている人なのではないでしょうか。
?指導者自身の欲求を充足している
人間には、活動の欲求、集団を作る欲求、社会的承認の欲求などの基本的な欲求があります。
指導者は、指導の対象となる子どもたちのこうした欲求を満たしてやりながら、自分自身もそうした欲求に対する満足感を亨受している存在といえます。
よく指導者が、あいつはおれが育てたなどといういい方をしますが、欲求の充足という観点からいえば、スポーツという集団の中で、お互いがお互いの欲求を充足させることに一役買っているということができます。
そういう意味からすれば、指導者と子どもの関係も命令→服従という縦のつながりだけではいけないことがわかります。
B.指導者と子どもの関係
?子どもは指導者の鏡
“子は親の鏡”という言葉がありますが、指導者と指導される子どもの関係も基本的には同じです。
よい指導者は、いつも子どもたちの目の輝きを見ているといわれます。
そして、もしも、子どもたちの目がくもっていたり、生き生きとした目をしていない場合は
自分の指導の仕方、子どもたちへの接し方を深く反省します。
つまり、子どもたちの姿や行動に常に自分自身の姿や行動を写し出しているのです。
このような指導者の精神的態度は、子どもたちを引きつける大きな魅力になるでしょう。
?指導者と子どもの関係の二つの立場
少年指導において、指導者と指導を受ける子どもとの結びつきには二つの立場がある
といわれています。
一つは、社会的拘束の理論に基づくもので、指導者が権威的存在であり、指導者のいうことに服従するのがあたりまえという立場です。
ここでは指導者が「権威=おそれ」であり、子どもは「強制」によって動くと考えられます。
もう一つは、指導者が子どもにとって非常に魅力的な存在であり、人間的な愛着をもっているため
子どもが意欲的に指導者の指示に従おうとする立場です。
指導者は「魅力=愛着」を感じ、子どもは「自発的」に行動するようになる、と考える立場です。
〔以上は粂野豊「体育の科学」34−1、1984による〕
非常に極端な分類の仕方ですが、少年指導においてどちらの立場が望ましいかは明らかです。
こういう指導者−−子どもの結びつきを作り上げることが大切です。
一度こういう関係ができ上がると、ある場面で指導者が権威主義的に振る舞っても、子どもはそれに恐れを抱いたり、反発したりせずに指導者についていくようになります。
つまり、非常に厳しい態度やしっ責、いけないとされている体罰があっても、子どもがその中に自分への期待や愛情を感じたり、指導者自身のそのスポーツに対するひたむきさや真剣さを感した場合には、指導者についていこうとするのです。
子ども自身の心の中に、夢を実現したい、目標を達成したいという内発的動機づけがあれば、なおさらです。
子どもがおこられてもそれを素直に受け入れられるような関係、そこに指導者の温かさを感とることが
できるような関係をまず最初に築かなければなりません。
C.指導者に必要とされるもの
?指導者がもつべき精神的態度
少年の指導者だけでなく、すべての指導者に必要とされる精神的態度としては、次の六つを上げることができます。
(1)公正さ…いざ、試合というときには正選手と補欠という区別が当然出てきますが、将来への可能性を広げるという点では対象とする子どもたちを公平に見る目を持たなくてはなりません。
それは競技のときに差をつけないということではなく、どんな子どもにも自分はチームに、集団に、あるいは指導者に必要とされ、 認められている存在なんだという実感を与えることが大切だということです。
(2)忍耐…子どもを指導する場合、自分の欲求の満足を得るためにも、早くその成果を確認したいという心理を抱きがちです。そのため、子どもの能力以上のものを求めたり、よい結果が得られないとイライラしたりすることがあります。子どもは表面的には変化がなくても、潜在的に学習する存在です。忍耐強く成長を見守る必要があります。
(3)情熱…指導者という社会的な役割に対して、常に情熱を持って取り組む必要があります。
子どもは非言語的コミュニケーション(ノンバーパルコミュニケーション)で、指導者が何も口にしない場合でも、この人は熟心な指導者だとか、この人は少しやる気がないぞ、などと見抜いてしまいます。子どもを熱中させたかったらまず自分が熱中することが大切です。そして何よりも、情熱をそそいでやらなければ決して充実した指導者生活を送ることはできない、ということを知るべきです。
(4)研究心…指導者というのは非常に幅広い知識を必要とされます。
教室やクラブの運営と管理の仕方、指導法(コーチング)、子どもの発育・発達、スポーツの歴史と現状など、子どもたちに直接教えないけれども、指導者としては是非勉強しておきたい事柄が数多くあります。また、子どもたちに直接指導する内容も、様々なバリエーションの中から、子どもたちを飽きさせないように組み立てなければなりません。ですから、常に情報を収集し蓄積するという作業が必要です。
(5)自信と協調性‥・指導者は、常に自分の指導法についての反省と見直しをしなければなりませんが、自分のやり方を確信を持って貫こうとする態度が必要です。
自分のやり方に対して半信半疑では、子どもたちがやはり同じような雰囲気を持ってしまいます。自分がやろうとしていることを自信を持ってやりぬくことが重要です。しかし、それが独善的になってはいけないので、周囲との調和、特に指導者同士の横のつながりを大切にしなければなりません。自信を持ってやるが、指導のやり方が片寄らないように周囲と協調し、人の意見にも素直に耳を傾けるようにします。
?子どもに対する期待と暗示の効果を知る
指導者が、「この子は伸びる」という期待や信念を持ち続けて努力すると、そうでない場合に比べて子どもたちはよく伸びるといわれています。これは、指導者やその周囲にいる人が、子どもたちの可能性を信じることによって生まれる効果で、ピグマリオン効果(Pygmalion
Effects)と呼ばれています。
ピグマリオンというのは、ギリシャ神話に出てくる彫刻家で、彼は、象牙で作った女性の像に恋心を抱き、自分の妻にしたいという執念でとうとうその像に生命を与えたといわれています。ピグマリオン効果とはこのような神話から出てきたものではありません。アメリカの小学生を対象とした実験で、実際に期待の効果が確認され、それをこう呼んだのです。
また、指導者は偽薬効果というものを使って、子どもたちをその気にさせることができます。
偽薬効果というのは、プラシーボ効果(Placebo Effects)とも呼ばれていますが、医者がこれは特効薬だといって渡した薬がよく効いたので何かと聞くと、ただの小麦粉だった、というものです。一種の暗示の効果です。信頼できる指導者の言葉に対しては、子どもたちはこうしたプラシーボ効果のような反応を示すものです。
指導者の子どもたちに対する影響力の大きさを知るとともに、こうした期待や暗示の効果をうまく利用するようにします。
?行動空間や時間の違いによって立場が異なることを知る
人間は様々な空間と時間の中に生活しています。そして、空間や時間の違いによって人間の役割や人間関係のルールも違ってきます。指導者は、その違いをよく把握しておかなければなりません。
図は、指導者がかかわる空間を示したものです。スポーツの指導者は基本的に三つの空間に属します。
つまり、生活を営む現実の社会、スポーツをするための様々な行動が含まれるグランドの周辺の世界、そして試合や練習が行われるグランドの中の世界です。
現実の社会では、社会的常識や教養に従って行動しなければなりません。グランドの周辺では、そのスポーツ集団独自の規律やルールを作り出します。
グランドの中では、そのスポーツで決められたルールに従った競争の原理が成立します。
スポーツの指導者は、自分が今どの空間に属しているのかをしっかりわきまえて、子どもたちや社会と接触することが大切です。
出典 「少年サッカーの指導」著者 加藤 久
Vol.11 もう切り替わってるんだから!
これは少年サッカーの指導中、自分の事を先生コーチから怒られた話です。
子供達に目標(コーチ)を見ながらドリブルでボールを移動させる、若しくはボールの無い状態で良い体の向きのまま移動する
といったトレーニングをしました。小学4年生の子達で、非常にできが悪かったのですw
で、一通りやって先生コーチは次のメニューを考えていたんでしょう。
自分はこの時間にある出来の悪かった子(実力はあるが注意散漫で態度の悪い子)に
「さっきの奴はこうした方が良くないか?どう思う??」と話しかけたのです。
練習中にこうやって話しかけながら「選手に問題を提起して自分で考えさせる」指導というのは
特に効果があるとされています。
そしたら先生コーチが子供達の前で自分に怒鳴ったんですね。
「彼らは今、給水してリラックスしているんだ、もう切り替わってるんだから!余計なことをするな!!」
この時、わたくし、驚きと怒りも感じました。
このコーチと自分との人間関係もあったんでしょうが、いくらなんでもと・・・
・・・あれから2年、今考えればこの発言、結構イイコト言ってるなぁと思うようになりました。
ある練習をやるとして
子供:出来ませんでした。。。(-_-;
コーチ:じゃぁ、別の練習をしようか!(^o^)
子供:こっちはうまくできたよ♪(^¬^*)
上の事例は極端としても(笑)子供にとって今は何が一番大切なことか?今になって良く考えるのであります。
私がやろうとしたのは、単に教えるという行為で自分が満足したかっただけじゃなかったか?と。。。
Vol.12 最近、調子が悪いんじゃないか?
成長期の子供は精神的に非常に不安定です、まず持続力がありません。
大人から見れば「時間の捉え方が違う」のですから当たり前なんですよね。。。
・・・ただ、成長の伸びが止まってる?と思えるので調子が悪いんじゃないか
最近、気持ちが入ってないんじゃないか、というのは早計かもしれません。
何故ならその子の最も伸びる成長期がいつなのか?
という問題があるからです。
成長のピークは人によって違うという、指導者として最難関の課題ですが・・・
誰か教えてくれませんか?(苦笑
私の弟(サッカー)は学生時代、ちっとも評価されませんでしたが
社会人になってから実業団より声が掛かるほど急成長しました、ずいぶん成長期が遅かったようで。
今まではやらされるだけだったのが、自分の中でそれを「やりたい」という気持ちが生まれた時
何かが変わったのです。
我々がしてあげられるのは、きっかけを作ること、成長の手伝いをしてあげること、ちょっとの勇気を分けること
試合をするのは私たち指導者でなく、子供達本人ですもんね(´▽`)
Vol.13 十人十色
私、もろまつは占いが出来ます!・・・姓名判断が得意なんですが、今回は動物占いをひとつw
この占いによると人間は大きく12のパターンに分かれるそうで。
褒めると伸びる子・叱ると伸びる子・ほーっておくと伸びる子・一つ一つ付っきりだと伸びる子・・・
・・・・・・おいおい、このとおりだと同じ指導法では全員を同時に伸ばすのは無理ってことか!?
Vol.14 先生からの手紙
東京に転勤になった「こが先生」から子供達に手紙が届きました。
ちょっと掲載してみますね・・・
柔道の練習を頑張っているみんなへ
この度、自分の東京への引越しのために寄せ書き等ありがとうございました。
やっと、東京での生活が始まりましたが、まだ仕事も生活も落ち着くことなく戸惑う毎日です。
そんな中、福岡時代に和白道場でみんなと柔道をしていた頃を懐かしく感じますが、みんなは一生懸命練習していますか?
確か上級生は試合が近かったと思いますが、みんなの練習での頑張りを試合にぶつけて下さい。
自分は試合って、相手の技は関係なく、自分の技を積極的に出して試す場所だと思ってます。
勝ち負けに拘ることなく積極的に攻めて、その中から良かったところ(あの連続技は効いていたとか)悪かったところ(組み手が不十分なのに技をかけて失敗した、相手を崩し切れてないのに技をかけて返されたとか)を感じて次に活かせばいいんです。
何事も、失敗なき成功は無いと思ってます。
また、試合場の雰囲気に緊張してしまうかもしれないけど、実は相手も同じように緊張しているんですよ。
だからこそ、強気に先に攻めると、相手は弱気になって技をかけてこなくなったりします。
自分の技を信じて、勝つんだという強い気持ちを持って試合に臨んで下さい。
みんなの頑張りが試合に出せて、満足のいく結果になることを期待しています。